ナオーキのなんでもレビュー

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松本人志の忘れられない2つの話

最近何かと話題のダウンタウン松本人志

おなじみの文春砲により、活動休止が決定したことが話題になってますが、それに便乗するというわけではないですが、私にとってファンでもなんでもないこの人物の、なぜか忘れられない話がありますので、今回はレビュー記事ではありませんが、書いてみたいと思います。

 

松本人志

言わずと知れた「お笑いの天才」と呼ばれる人物であり、日本人なら知らぬ者のいない、歴史的人物と言えるでしょう。

しかし私にとってはまったく縁のない人物であり、テレビ番組「ごっつええ感じ」に至っては、1度も見たことがありません。

HEY!HEY!HEY!」は歌番組として視ていましたが、別にダウンタウンが目当てで視てたわけではありません。

 

そう、私は昔からダウンタウンが好きではありませんでした。

そして今でも好きではありません。

ダウンタウン自体もそうですが、あの関西芸人の仲良しグループが集まって、内輪ネタでワイワイやっている感じ、そしてかなりエグい話をしているにも関わらず、それを見ている観客や周りの芸能人が、予定調和のようにゲラゲラ笑っているところが大嫌いでした。

 

しかし、そんなほとんど見ることがなかった松本人志の中で、私がなぜか忘れられない2つの話がありますので、それを書きたいと思います。

 

1つ目は、2000年代前半に雑誌「日経エンタテインメント!」にて連載されていた、「松本人志のシネマ坊主」という、松本人志が映画の評論をする記事を読んだ時の話です。

私は当時「日経エンタテインメント!」を購読していたので、シネマ坊主も結構読んでいたのですが、その中でたった1つだけ、今でも忘れられない記事があります。

 

それは、松本人志宮崎駿監督の「魔女の宅急便」を評論したときの記事です。

それはもうクソミソにけなす、という感じの記事でした。

それを読んだ当時の私はショックを受けました。

今や世界中のアニメーターに尊敬される、世界的アニメ作家となった宮崎駿

その彼の作品を、ここまでクソミソにけなす記事を読んだのは初めてだったからかもしれません。

 

その当時その記事を読んだ私が思ったことは、

松本人志はお笑いの世界では天才かもしれないが、映画評論家としては大したことない」

ということでした。

 

もちろん個人の好み、というのは常にあり、国民的アニメ作家宮崎駿監督の作る作品が個人的に好きではない、という人は結構いると思います。

私でもたまに見え隠れするロリコン趣味とかは気になりますからね。

しかし松本人志の書いた「魔女の宅急便」に対する記事を読むと、

松本人志は好き嫌いに関係なく、宮崎駿監督の持つ圧倒的な能力を察知、理解できていない」

と、判断できます。

 

宮崎駿監督の能力を理解した上で、「それでも俺は嫌いだ」ならいいですが、そもそも能力を理解できていないのでは、それはもうただの素人の感想にすぎません。

宮崎駿監督の能力を理解できていない。

つまり「映画評論家失格」だということです。

 

あの頃の松本人志はおそらく「俺は何をやっても、どの世界でも天才」という万能感に包まれていたのだと思います。

私は読んでいませんが、大ヒットした「遺書」などの本を出版したのも、その万能感から来る行動でしょう。

そしてその万能感が、次の話につながってきます。

 

忘れられない話の2つ目はカンヌ映画祭のエピソードです。

2007年、第60回カンヌ映画祭

初の松本人志監督作品「大日本人」を引っ提げて、意気揚々とフランス、カンヌに乗り込んだ松本人志を待っていたのは、松本人志のホーム、日本ではありえない、アウェイの容赦ない、「忖度のない世界」でした。

 

容赦なく席を立つ観客、上映後のまばらな拍手、苦笑いのようなとまどった表情で周囲に礼をする松本人志

このときの映像が、本当に忘れられない。

「ざまあみろ」という感情は一切なく、当時から今に至るまで、「かわいそう」という感想しかありません。

 

これが日本の映画祭だったらどうだったでしょうか。

私はこの映画を観ていませんが、容易に想像できます。

上映中は空気を読んだ笑いに包まれ、上映後はスタンディングオベーション

そして本人はしたり顔で「映画監督としても自分は天才だ」と勘違いする。

残念ながら日本というのはそういう社会です。

 

「権力者」がその権力の及ぶ範囲外に出たとき、裸の王様が「お前裸じゃん」とはっきりと言われたとき、こうなるのだという、忘れられない光景を、松本人志は見せてくれたのでした。

 

シネマ坊主 (幻冬舎よしもと文庫)