久々にすごい映画を観ました。
『凶悪』『孤狼の血』などの作品で、日本のバイオレンス、サスペンス映画界を牽引する白石和彌監督。
その白石監督の最新作で、2022年に公開されたこの「死刑にいたる病」。
期待通りの、いや、期待以上の怖さを持つ、強烈なサスペンス映画でした。
画面から迫りくる、その静かな恐怖を、ネタバレなしで解説していきます!
『死刑にいたる病』
2022年 日本映画 上映時間 129分
推奨年齢 16歳以上
監督 :白石和彌
脚本 :高田亮
原作 :櫛木理宇
目次
あらすじ
鬱屈した大学生活を送る大学生、筧井雅也のもとに、ある日一通の手紙が届く。
差出人は榛村大和。
彼は表向きは人の良さそうなパン屋だったが、裏では24人もの若者をいたぶりながら殺害した連続殺人犯だった。
死刑判決を受けた榛村は、かつて自分のパン屋の客として親しくしていた雅也に、ある依頼をする。
その依頼とは、「立件された9件の殺人事件のうち、1件は自分が起こしたものではない。だからそれを証明するために、君が捜査をしてほしい」というものだった。
登場人物
榛村大和(はいむらやまと) 阿部サダヲ
人の良さそうな外見、物腰ながら、特定の年齢の若者を誘拐し、いたぶりながら24人も殺害した連続殺人犯。
24件の殺人事件のうち、9件立件され、死刑判決を受けた。
逮捕される前はパン屋を経営していた。
彼の犯行には規則性があり、
- 頭が良く、真面目な十代後半の若者をターゲットとする(性別は不問)
- 殺害する前にターゲットの爪を剥がし、収集する
- ターゲットに巧みに近づき、信頼関係を築いてから犯行に及ぶ
という法則がある。
筧井雅也(かけいまさや) 岡田健史
本作の主人公。大学生。
イケメンだが陰気で社交性に欠ける性格。
Fランク大学にしか行けなかったことに、強いコンプレックスを抱いている。
過去に榛村の経営していたパン屋に通っており、榛村と親しくしていた。
金山一輝(かなやまいつき) 岩田剛典
子供時代に榛村と親しくしていた男。
長髪で顔を隠している。
加納灯里(かのうあかり) 宮崎優
雅也の大学の同級生。雅也に好意を抱いている。
筧井衿子(かけいえりこ) 中山美穂
雅也の母親。
他者依存性の強い性格。
感想
序盤から残虐シーン注意
序盤から爪はがしなど、犯人が若者たちをいたぶる残虐シーンがあるので、苦手な人は視聴注意してください。
残虐行為を行ったあと、近所の人に愛想よく挨拶するというのも、DV男的でいかにもありそうな感じです。
序盤の面会シーンからすでに普通の日本映画ではないことがわかる
「普通の日本映画」というのが何を意味しているのかというと、テレビでよくやっている刑事ドラマ、サスペンスドラマの延長線上にある映画のことです。
殺人犯である榛村と雅也の最初の面会シーン、この面会シーンが普通の日本映画の演出だとどうなるかというと、雅也が「なぜあんなひどいことを!」などと怒ったり、やたら感情的になったりします。
なぜそういう演出になるかというと、大多数の日本人はそういう演出が好きで、それは日本のサスペンスの1つのテンプレートになっているからです。
しかしこの映画ではそうはならず、雅也は目の前にいる榛村に、少し恐怖を抱いているような表情で、おずおず遠慮がちに受け答えをしています。
とてもリアリティのある演出だと思います。
一見いい人だがイカれた男を演じ切った阿部サダヲ
一見人の良さそうなただのおじさんである、阿部サダヲ演じる榛村大和。
その正体は特定の年齢の若者を狙い、いたぶりながら24人も殺した連続殺人犯。
刑務官ですらたらしこんでしまう天才的人たらしで、だからこそ、24人もの若者が彼を信用して付いていってしまったのだということがわかる、見事な演技です。
時折見せる狂気を帯びた目がとても怖い。
榛村に洗脳されていく雅也を演じた岡田健史(水上 恒司)
岡田健史というのは彼が2022年8月まで使っていた芸名で、現在は水上恒司という本名で活動しています。
彼の演技は、この映画で初めて見たのですが、主役に抜擢されるだけあって、ただのイケメンではなく、確かな演技力の持ち主だと思いました。
彼が演じた主人公の大学生、筧井雅也は、イケメンながら性格は陰気で、社交性もない男性。
その彼が、榛村に影響されて変化していく。
その変化の描写も、この映画の見どころの一つです。
中山美穂の演技力に驚く
かつてのアイドル、中山美穂。
主人公、筧井雅也の母親、筧井衿子役を演じています。
かつての美貌はやや陰り、疲れた中年女性といった雰囲気ですが、それが役にうまくハマっています。
この母親からならこのイケメンが生まれるだろう、というリアリティも感じさせてくれます。
そしてこれは白石監督の演出力もあるでしょうが、演技もとても上手いです。
彼女は若い頃から女優をやっていますが、若い頃はここまでの演技派ではなかったはず。
日本映画のテンプレにまったくあてはまらない作品
日本映画のテンプレとは何か。
皆さんも映画予告とかでよく見かけるでしょう。
- 登場人物が無意味に叫ぶ
- 無意味に泣く
- 無意味に走る
この映画は、そのテンプレにまったくあてはまるところがありません。
むしろ登場人物が感情的になるシーンがほとんどなく、本当に静かに、淡々と物語は語られていきます。
それでいて、映画には常に緊張感があり、視聴者に、確かな恐怖を与え続けてくる。
さすがの演出力、といったところです。
1つだけ気になったシーン
全編ハイレベルで展開するこのサスペンス映画ですが、鑑賞していて1カ所だけ、「あれ?」と感じたシーンがあります。
それは、中盤の雅也と金山一輝の追いかけっこのシーンです。
あそこだけ、突然演出家が代わり、テレビドラマになったような感じがしました。
そう感じた人は結構いるはず。
エンドロールのJ-POPなし
現在の、ほとんどの日本映画に存在する、エンディングの商業目的のJ-POP。
エンドロールはそれまで2時間かけて観てきた映画の余韻に浸る場面ですが、ここで映画の内容とまったく関係のないJ-POPがかかってしまうと、余韻が台無しになります。
ビジネスのためにその余韻を台無しにしてしまっている映画が多数存在しますが、この映画ではそのJ-POPがなく、映画の雰囲気に合った音楽で、しっかり余韻に浸らせてくれます。
この辺も、さすが白石和彌監督、といったところです。
タイトル『死刑にいたる病』の意味とは
これは私個人の見解ですが、「死刑にいたる病」とは、連続殺人犯であり、天才的人たらしでもある榛村のマインドそのものだと思います。
人は皆、自分の周りにいる人間に影響を受けて変わっていきますが、巧みな話術と人間的魅力を持つ榛村と関わった人達は、皆彼に洗脳され、影響を受けていきます。
主人公である雅也も、榛村に影響され、作中で暴力的な事件を起こしています。
女性に対してもずっと消極的だった彼が、大学の同級生の加納灯里に対して決定的な行動をとることができたのも、榛村のおかげ、といってもいいのではないでしょうか。
そして「死刑にいたる病」が確実に伝染していっているということが、この映画の衝撃のラストシーンでも表現されています。
まとめ(残虐シーンは視聴者に恐怖を植え付けるために必要だった)
非常によくできた緊張感あふれるサスペンスで、素晴らしい作品でしたが、序盤の痛々しい残虐シーンには賛否が分かれるところだと思います。
私は個人的にはあの痛々しいシーンは、視聴者に、榛村に対する恐怖を植え付けるために必要なシーンだと思いました。
あのシーンがあるのとないのとでは、視聴者の榛村に対する恐怖の度合いがかなり変わってきたはず。
あのシーンがあるからこそ、阿部サダヲの冷たいまなざしが、より怖く見える。
本当に、そのへんのホラー映画などよりはるかに怖い、そして心に残る、素晴らしい映画でした。
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